沖縄関連本が多くあり紅型をしたり沖縄の方言や歴史といった文化が昔から好きで学生の時より、大学の図書館の資料をよく見たりしていました。その中で好きなのがお祭りでした。お祭りというよりは祭事、神事。八重山の島の秘祭も大学の研究の方に混じり見学させてもらったこともあります。どうしてもあの世とこの世の境があるようなお祭りが多くて興味深く惹かれるものがあります。
沖縄好きは中学生の時からで何でかわからないけれど沖縄に行ったことから始まります。無人島にキャンプからですが入り口は戦跡巡りからでした。当時首里城跡だったのですが今の守礼の門を見たり、琉球王国の第二尚氏たちが眠る玉稜に行ったりとなんか変わった観光をしてどっぷり自然の中でのキャンプ、観光とは違う沖縄をその時見たのでした。その時に多少、沖縄民謡を教えてもらい、変わった音階で作られた音楽にハッとさせたれた記憶があります。
そんな体験からTHE BOOMの「島唄」、まだ流行っていなかった時にテレビでちょっと見た時に完全に引きづり込まれてしまい、そこから沖縄民謡を高校生ながら聴くことになりました。それから高校生生活は、音楽の大学に行くことと沖縄に行って三線を手に入れて民謡弾いてみたいそんな感じでした。当時の私は、話すことが沖縄のことに絡めて話していたらしいです。
それから大学を沖縄にはせず、音楽大学に通いながら打楽器を勉強して毎日の大半を練習していたので、逃避行のように沖縄に逃げるようによく沖縄に行きました。
そんなこんなで京都にはないものが沖縄にはたくさんあって、その部分に憧れていたのかそして今、沖縄に家があったりしてどっぷり琉球民謡をやっていたり、紅型をしていたり、本家の長男嫁だったりで日々沖縄の文化の中に身を置き生活をしています。
本題、金井喜久子さんに出会いました。。。
上の「琉球の民謡」という本にたまたま入った古本屋さんで出会ってしまいました。65年前くらいに書かれた本で見てみると沖縄の民謡がなんと五線譜で記されている。。。めちゃくちゃ衝撃!!!かぎやで風もありました。
子どもと一緒だったためパラパラ見たのみで内容まではわかりませんでしたがとにかく凄さを感じてしまいまいした。
この方が金井喜久子さん。私の祖母(明治生まれ)とほぼ同年代、宮古島出身で日本人女性初、交響曲を作った女性とありました。
交響曲を初めに作った日本人女性が沖縄の人っていうのが驚きでなりません。そしていつも沖縄の音楽を世の中に伝えなきゃと信念を持たれていたところが沖縄が当時低く見られていた時代であったけれど誇りに思っていらしたことがステキだな感じたところです。
作曲された曲も題名からも沖縄で、聴いてみると見え隠れする沖縄の民謡が散りばめられていて、時代も100年以上前の人がしかも女性がそして沖縄の方というところ、そして離島の宮古島。。。、沖縄の音楽を世の中に知らしめたいという信念も私の使命感と少し共通するものがあり、まだまだお名前を知ったくらいですが、琉球の民謡を学ぶものとして金井喜久子さんの思いも知りたいなと思っています。なかなか書籍も手に入りませんが調べてこれから手に入れて勉強できたらと思います。
金井喜久子さんが民謡をやっている方のところへ出向き、採譜しておられたこと。頭が下がります。民謡は工工四という素晴らしい楽譜がありますがそれ以外で五線譜で記されていること、マリンバでも弾けるようになれたらなんて思ったりします。
またこれから「琉球の民謡」を読み進めて思うことなどあれば追記していければと思います。