民謡コンクール 受験!

仲宗根創島うた倶楽部(うちの研究所はこんな名前なんです)の新人賞受験組

沖縄民謡がなんか高校生の時から好きで特に詳しいわけでもないけど自分にはない独特な感じがなんとも好きでした。
大学生は、打楽器を全般を勉強していてマルチパーカッションを大学では主にやっている日々でした。
打楽器も憧れが強くて中学生の時の吹奏楽部でもとても楽しかったことと
弾くたびに褒めていただけたこと、終わった時のあの感覚がとても気持ちよく
音楽を演る人になりたいなと思って勉強をしていました。
しかし、音楽が得意な人の中での勉強、たちまち大変な中に来てしまったと思いました。
それでもめげずに練習だけは人一倍、
その甲斐あり、演奏会にも出ることもでき、大学生活も送ることができました。
そんないつも緊張感の中の毎日でとにかく逃げたくなるので
年に数回、沖縄によく逃げ込んでいました。
そこで沖縄民謡を。。。というわけではなかったです。
沖縄の文化や自然に触れることを主にやっていたのかなと思います。

学生も終わり、いろんなところで沖縄が好きというのが出てきます。

沖縄に住みたいとは思っていましたがまさか沖縄に住むことになるとは。。。

沖縄で生活をするようになりとにかく日々子育てに追われて
3年間は、何にもできなかったですが
子どもが大きくなっていくにつれてようやく沖縄に居ることに目を向け始めました。
紅型、京都にいる時から始めていて
道具を全て揃えて、一通り染めることはできるようになっていたもののどう始めれば良いかわからない
そんな時に近所に教えてくれるところを見つけて
先生も駆け出し、そしてそこに居た仲間もずっと染め仲間といった感じの付き合いができる方との出会い
子育ての息抜きのように紅型を再開させてもらうことができました。

それからお祭りや家の仏壇事で一気に沖縄を感じました。

その中でたまたま「てるりん祭」をシーミーの帰りに観にいくことになりました。
その時、観たステージに今の民謡の師匠である仲宗根創さんが出ているステージに遭遇。
創さんの若いのに凄いウチナーグチと三線に釘付けになってしまいました。
それ以来、創さんの出るところ追っかけのように末娘を連れて観にいきました。
仕事を始めて仕事のイベントでも創さんにお願いをして演奏をしていただいたり
逆にラジオの中継先として出演させていただいたり、
なんとも切っても切れない感じでした。
その中で末娘が声が大きくて歌が好きそうだったので
創さんのところの研究所に通わせ始めました。
先生がとても活躍されていて、若いこともあり、いろんなチャンスがこどもたちにも巡ってきていました。
あちこちに歌いに行ったり、レコーディングしたり、クリスマスもパーティしたりと
とても楽しそうでした。
大人なのでこんなことはないとは思っていましたが
歌以外の何かが得られるような、
居てもたってもいられなくなり、通わせいただくことになったのがキッカケで民謡を習い始めました。

三線は、19歳の時にバイトをして自分が気に入った三線を購入してずっと持っていました。
戦後50年の時の「天に響め!さんしん3000」というイベントに
なんと三線奏者(3000人いるので弾けなくても大丈夫なんです)として参加しました。
一応、もらった曲は歌えないけれど弾ける状態での参加でした。
その後教育実習でどうしても沖縄の戦争を伝えたいので
担当していた音楽の授業を使い沖縄戦のことを伝えながら「てぃんさぐぬ花」を歌三線で演奏。
それからずっと三線は手元にあるけど弾きながら歌えないという感じでした。

そして3年前、仲宗根創さんのところへ行き稽古開始。
初めの1ヶ月2ヶ月くらい、なかなか工工四(楽譜)をもらえず
先生の手を見て弾いてと言われながらの稽古、
持ち方も違和感、弾きながら歌えないのでなかなか大変でしたが
お手本を見ながらまわりに仲間がいる状態。。。。
けっこう短期間で弾きながら歌うことができるようになっていました。
ただ日々仕事をしてお家のことをしての中でしたので練習時間が取れないこともあり
劇的に上手くなることはないですが、コツコツ少しずつの上達はしていました。
1年くらい経った時に「民謡コンクール」があることを知りました。
その時は、コロナが始まった頃だったので中止でしたが
翌年、受験を決意しましたがコロナで度重なる延期にはなりましたが
世の中的にもコロナを気にしない状態になって無事開催となりました。

(前置き長い。。。。)

私は、新人賞を受験。
「安波節」

誰もが初めに習う歌です。
音も少ない歌ですが、この歌はとにかく3息で歌うためにそれが難しくしています。
(うちの先生は厳しいのです、3息で歌うことを教えくれました)
初めに受験しようとなった時、到底歌える歌ではなかったです。
もともと声が低いのと歌が苦手ということもあって
声が安定しないのです。
ここは地声、ここは裏声、こっちは裏声2。。。そんな感じで声がバラバラなわけです。
女性は、普通に歌うと失格してしまうので
1オクターブ上の音域で歌うことになっていて
この高い音域で歌うことも、安波節に限らず
他の歌も厳しいものがあって、稽古このまま続けられるかなとずっと心配していました。
何度かコンクールという時期を迎えていて、少しずつ思っている方向に練習で変化していくことがわかりました。
発音は、京都出身ということもあり、
全然できないので稽古で先生にことあるごとに注意されながらその都度直すを繰り返す。。。。
今年の1月コンクールが延期になってから6月までの本気度が変わっていくのがありました。
コンクールで周りの人もどんどん上手くなっていくこと
稽古であれ毎回人前で歌うことなど
受験をしなければ
例えば、陶器が火で熱せられて変化していくような変化が得られないような。
当日頑張りすぎて、ピークをすぎた状態での受験でしたので
ちょっと頑張れなかったような気もしていますが
みんな揃って合格することができました!
(他の賞を受験したうちの研究所の人全員合格、凄いと思います)

コロナで1年延期になっていたコンクールのため、私の次の受験は最短でもう来年の優秀賞が受けることができます。
みんなこの勢いでという感じです。私はどうしよう。。。

習い事なんだけど
歌も三線も習ってですが
それ以外、沖縄のこと、文化歴史、ことば。。。
気持ちの面。。。
私は先生よりも年上だしみんなよりも年上だし、
それも関係なく楽しく学ばせてもらってありがたいです。

これからも精進したいなと思います。


控室にて
本番前舞台袖
本番前ふざけすぎてみんなで怒られました!
これから会場入り
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profile

東江典子 (あがりえのりこ)
京都出身 沖縄在住
沖縄の本家の長男嫁、四姉妹の母
お料理をつくるように草木染めをしています
学生の時は打楽器専門
沖縄民謡大好きで聴く専門から唄三線もします
プログラミング、Webでのものづくりも開始
このページも自ら制作

「草木染め まま工房」主宰
 草木染めと紅型染めをしています
傍らweb制作・デザイン(屋号は今は未定)を
 フリーランスで制作しています